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いままで

“ヒーロー”への
憧れが
創業の根源。

代表取締役兼グループCEO垣本祐作は
幼少期、アンパンマン、仮面ライダー、
ウルトラマンという“ヒーロー”に
強く憧れを持っていました。

垣本の考える“ヒーロー”とは
人が困っている時に駆けつけ、
すぐに問題解決する人でした。

現在でもこの幼少期の
“ヒーロー”の感覚をすごく大事にしていて、
そんな世の中の“ヒーロー”になることが
人生の目標でもあり、
憧れこそがDotline創業の
根源であります。

  • こんにちは。
    代表取締役兼グループCEO
    垣本祐作です。

    Dotlineのいままでを知っていただくには
    私の創業の経緯や想いを知っていただくのが
    一番いいと思います。

    この会社はどういう会社なのか?
    どういった経緯で生まれ
    どんな仕事をしているのか?
    就職する上で大丈夫な会社なのか?

    参考にしていただければと思います。

  • 幼少期の“ヒーロー”への憧れの次は
  • 幼少期の“ヒーロー”への
  • 憧れの次は実在した
  • 実在した“ヒーロー”坂本龍馬のようになりたい。
  • “ヒーロー”坂本龍馬のようになりたい。
  • 高校生時代、たまたま小説『竜馬がゆく』や漫画『お~い竜馬』を読み、考え方に大きな影響を受けました。
    なぜなら、憧れていた“ヒーロー”が日本の歴史上に実在したからです。 坂本龍馬は決して私利私欲のためでなく、日本の未来、何十年後の未来のために奔走し日本が困っているところを、救った“ヒーロー”だと私は認識しています。
    その気持ちこそが私の人生の目標とすべきであり、目指す“ヒーロー”像になっております。 私は、“ヒーロー”になるため、高校生時代には資本主義経済の中核を担う経営者になると決意したのです。

  • 2025年は日本の危機??社会問題解決を志す。
  • 大学受験期に予備校で勉強している際、小論文の対策講座で「2025年問題」について知りました。 その小論文で書かれていたことは、2025年に団塊の世代が75歳である後期高齢者になることにより、介護・医療費等の社会保障費が急増し、国家の社会保障が崩壊する可能性が高くなるという事実でした。
    また、その高齢者の急増加での人口バランスの問題は日本が世界一のスピードで直面しており、今後、世界各国も同じ問題を抱えるという内容でした。 そして、この対策講座の論文の最後には、「今、政治をやっている人は、結局社会保障が破綻する頃にはこの世にはいないので、本気で解決をしようとしなく、負の遺産を後世に残していく。 これが人間の歴史の宿命なのだ」という内容で締めくくられていました。

    私は、この事実に大きなショックと衝撃を受けたとともに、この状況を何とか救えないかと思い、興味を持ちました。 そして、日本の福祉問題や社会保障分野についての本を読み漁りました。 私の“ヒーロー”の感覚と日本の社会問題の解決がリンクして、社会福祉の分野に進もうと決意し、社会福祉学部に進学しました。

  • 社会問題解決のために
    広い視野の経営力が必要
  • 大学在学中は、起業の夢を持ち、創業経営者の自伝をひたすら読み漁りながら、介護現場でのアルバイトや飲食店のアルバイト漬けの生活をしていました。
    また、実習や課外授業などで多くの社会問題の最前線を自分の目で見て回りました。
    その経験の中で最も思ったことは、福祉分野での経営者の経営に対する意識の低さでした。 とても美しい理念を持って経営している方が多かったのですが、それが収益構造を伴う経営として結びついていなかったり、 その理念を従業員に押し付けるだけで浸透していなかったりすることが多々見受けられました。
    また、従業員も不満が多かったり、愚痴だらけの職場になっていたりする職場の多くありました。 様々な現場体験を通して、とても良い理念を持って社会問題を解決しようとしていても、 それを実行する経営がしっかりとしていないと長続きしないと思いました。
    そもそも社会問題、福祉の問題は人間に関わる全てなので、より横断的な視点で物事をとらえる必要性があると強烈に感じました。

    この経験から経営の経験を積むには福祉分野でなく、より広い別の分野で視野を広げることが必要だと思いました。 その後は、福祉分野など分野を絞ることなく、経営に関わること全般の勉強をするための行動をする日々に変わっていきました。

  • ニートから、平均年収1700万円の
  • ニートから、
  • 平均年収1700万円の
  • 競艇選手(ボートレーサー)の世界へ 。
  • 「起業するためにはどうすれば良いか?」
    ニートで時間がたくさんあったので、多くの経営者や歴史上の偉人の本を読んだり、インターネットで検索したりして、起業するためにどうすれば良いかを考えました。 私は、とにかく悶々と考えるより起業資金を稼いでいつでも起業できる状態を作るのが先決だと思い、インターネットで「高収入 職業」と検索しました。
    検索したら、「平均年収1,700万円 競艇選手募集」という文言が目に入ってきました。 もともとサッカーを小さい頃からやっていて、運動神経には自信がありましたが、身長が小さいことが大きなコンプレックスでした。 しかし、競艇選手(ボートレーサー)はその体重制限、身長制限があり、小さい身長が有利になるというのです。
    すぐに受験をすることを決めて、試験対策をしました。 結果、3カ月の対策で合格率2%の競艇選手(ボートレーサー)試験に1回目の受験で合格をしました。 運が良かったのだと思います。

  • 競艇選手(ボートレーサー)から
  • インターネットマーケティングで日本初の予備校設立。
  • 競艇選手(ボートレーサー)
  • からインターネット
  • マーケティングで
  • 日本初の予備校設立。
  • 実際に競艇選手(ボートレーサー)の世界に入ってみると、タテ社会で私の考えていたプラン通りに稼げないことが分かりました。競艇選手(ボートレーサー)の世界に目的がなくなった私は、次なる起業への道を模索していました。そこで、「合格率2%の試験に3カ月という短い期間で一発合格するというのは、全国的に珍しいことではないか」と思い、だったらこの難関試験に合格するためのノウハウを全国に提供する事業をやった方が良いのではないかと考え、競艇選手(ボートレーサー)試験の予備校を開校することにしました。
    当時は、そういった試験対策機関は日本になく、日本初の挑戦でした。しかし、最初はお金がないので、どうやって広めたら良いか試行錯誤をし続けました。
    その時にインターネットマーケティングと出会ったのです。少しのお金でできるインターネットマーケティングの可能性に私は興奮して夜も寝ずに情報収集と勉強をし続けました。
    そして、お金を使わずにどんどん受験生を集めていきました。

  • 事業は成功すれど
  • 自身の目指す道に迷いが
    生じる。
  • そして、全国に4校を展開し、業界トップシェアで競艇選手(ボートレーサー)の8割以上を輩出する予備校になりました。 現在も継続して運営しており、今では信頼できる人に任せて、私の手は離れています。 当時24歳。 世間的には非常に早い事業の成功でした。

    競艇選手(ボートレーサー)試験の予備校の事業は順調に上手くいき、資金にも余裕が出てきました。 インターネットマーケティングを駆使して次々に会社を立ち上げ、事業を展開していきました。
    飲食店、ネット通販、建物検査会社、エステサロン等、共同経営やコンサルティングも含めると多くの業種の経営を経験してきました。 しかし、全ての事業に対して本気になっていた訳でなく、成功するからやるという感じの感覚になってしまっていて、全ての事業が中途半端に上手くいっていたのもあり、全然刺激がなく、面白くなくなっていきました。 そんな現状に危機感を感じる日々が続き、「一生を捧げられる事業がやりたい!」と強く思い始めました。

  • 破天荒の祖母の死。
  • 初心に返り社会問題を解決する事業を決意。
  • そんな悶々をした日々を過ごす中、パワフルな性格で、破天荒な人生を送ってきた祖母が介護状態になり、実家の大きな問題になっていました。 祖母は日が経つにつれ、少しずつ老衰していき、毎日泣いていて、最後は目を当てられない姿になっていきました。 パワフルな性格だった祖母にはホームヘルパーも寄り付かず、外部者の介護拒否をして続けて、祖父が介護をして、老老介護となり、祖父も介護状態になり、悪循環が続いていました。 家族の介護がこんなにも深刻な問題になるなんて、思ってもいませんでした。

    この祖母の死がきっかけで、もう一度自分の人生を考え直した時に、幼少期の頃の想いや学生時代の想いが沸き立ってきました。 私がやりたかったのは、「人が本当に困った時に助けること」。 人が本当に困る時はいつだろうか?それは、家族が死に直面したり、生存の危機があったりした時ではないかと考えました。 それを複合的に大きくしたものが「社会問題」という言葉でまとめられているのです。

    私はこの「社会問題」を解決する事業をすることを決意しました。
    社会問題の中でも、最も深刻である2025年問題、高齢者急増の解決をまず始めようと思い、在宅介護分野の訪問介護サービスと居宅介護支援サービスを開始しました。

  • 点が線になった瞬間
  • 「Dotline」の設立。
  • この時、29歳でした。
    最初に起業してから約5年間経って、初心に返りようやく介護事業を始めました。
    紆余曲折してきましたが、点が線になった瞬間でした。
    これが「Dotline」という社名の由来です。

    社会問題はあなたの地元で起きている全ての社会問題は地域で起きています。 社会問題というと、大きく捉えがちですが、組織の最小単位である家族の問題の解決が先決だと思います。 政治などの制度的な部分でなく、現場から変えていくのが急務だと思いました。

    だからこそ、地域密着した事業をする必要があり、最も縁がある産まれ育った千葉市で事業をやろうと思いました。 日本は東京一極化が進んでいるが、地元で活躍する若者をもっと増やしたく思い、そのロールモデルになろうとも思いました。 地元でやることで最も身近の人間が困った時に救える事業をしたいと思いました。

いまへ